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二〇一八年の夏、何をしていた? あとがき

  • 執筆者の写真: なまいと
    なまいと
  • 11月11日
  • 読了時間: 8分

第12回秋季例大祭に参加しました。来てくださった皆様ありがとうございました。

今回頒布した小説『二〇一八年の夏、何をしていた?』は、書き終わった後に僕自身がだいぶ混乱してしまっていたので、いつも後ろにある後書きを欠いていました。ただ言いたいことがないと言ったら結構嘘になりますし、時間が経ってだいぶ自分の中に定着してきた考えとかもありましたので、こんな場所で後書きを公開しましてみます。


作品はこちらから→ BOOTH




1.今回の作品は失敗作


初めに読んでくださった人に対しては失礼な告白かもしれないが、今回の作品は明確に失敗作であると言わざるを得ない。

ただ、別にクオリティが普段よりも低いという訳ではなく(決して高い訳でもないと思うが)、書き終えてみて全く目的が達成されていないという点で失敗作だった。


今回の僕は、この作品を大変にダークな感情で書き続けていた。

書き終わった今でもそうだが、僕は宇佐見菫子をそこまで面白い人間ではないと考えている。超能力が使えるというところでカモフラージュされているけれど、僕のこれまでの人生でそこまで好印象を抱かなかった人は、ほとんどの場合は超能力の使えない宇佐見菫子みたいな人だったというせいでそう思っている。


そういう思想が出発点にあったために、今回の小説には少なくない量の僕の悪意が込められている。思考実験という建前を使って、宇佐見菫子のことを好意的に見ている人たちに、そのある一側面、薄っぺらい正体を見せつけてやりたかった。宇佐見菫子とは、果たして愛すに値する存在なのかと。


結果、どうだったか。薄っぺらいのは僕に他ならなかった。

愛される価値がないのは、僕だったのだ。


僕は勝手に宇佐見菫子に勝負を挑みながら、かつ創造者であるという圧倒的な強権を振るいながら、宇佐見菫子に負けたのだ。薄っぺらい人間は僕だった。僕を愛する人間なんてこの世にあるはずもないし、僕は愛される価値もない。愛される努力もしてきてもいないのに、僕が愛される資格などない。

無性の愛を授けてくれそうな女性の姿に性的衝動のひらめきで進んでいき、気がつけば捨てられているのが関の山だ。


繰り返しになるが、この作品は失敗作だ。

でも、この作品は失敗作である方が良かった。僕に勝った宇佐見菫子とはなにか。それは僕の理性に他ならない。僕の悪意が成就した場合、きっと僕は回復不可能なレベルで自分を毀損していたのだと思う。ミソジニーで、存在価値のない、誰も幸せにならない作品未満がそこにあったはずだ。

僕は悪意という衝動で作品を書きながら、僕の理性が運んでくる良心、それは作品を少しでも良いものにしたいという僕の善なる部分に屈した。なので、失敗作で良かったのだ。その目的とは、成就されるべきではなかったのだから。



2.思い出の軽井沢


信州で高校時代にテニス(僕がテニスと申し上げるときは、必ず硬式を指す)をやっていた人は、だいたい一年に一回は軽井沢に泊まりで行く用事があったはずだ。春に軽井沢では、軽井沢フェスティバルという高校生のテニス大会が開かれている。


今回の古畑ペンションにもモデルになった民宿があるのだが、僕の軽井沢の情景というのは、基本的にこの軽井沢フェスティバルの時に見聞きしたものだ。

ただこれに関しては誤算のようなものがあって、書き終わった後に調べていたら、軽井沢フェスティバルが行われていたのは西軽井沢ではなく中軽井沢で、僕の考えていた情景というのはすべて中軽井沢であった。


……失敗作だ。


それはそれとして、僕は軽井沢という街もそこまで好きではないのかもしれない。

ある種洗練された土地は好きなのだが、もう今の軽井沢には当初の洗練された趣はそこまで残っていないと言ってしまって良いかもしれない。旧軽井沢につるとんたんが出来た瞬間、かつてショーが感銘を受けた宿場町というものは、とどめを刺されてしまったのだと思う。


ただ、僕の思い出の中にある軽井沢というのも、いつでもそこにある。

軽井沢を思うたびに、僕は僕のことを大変に後ろ向きな人間であることを自覚させられる。だからこそ、この小説の形式がこれなのかもしれない。


この作品の元になった過去作『ヒト、もしくはモラトリアム、すみれの花言葉』もそうだったが、僕の書くものは過去に囚われている。キャラクターもずっと過去のことを考えているし、僕もそういう形式のものばかりしか書けない。


そう考えると、僕の軽井沢の思い出は一際暗い。軽井沢フェスティバルでの試合で、僕は4−1でリードしていた。それなのに、なんだか僕の顔を指す眩しい太陽を気にしていたら、4−6で負けてしまった思い出だ。

この話が暗いのも、そういうことなのかもしれない。ちなみに、その時の対戦相手はすっごく爽やかな笑顔を浮かべていた。よかったね。



3.僕の爪を見る年上の女のひと


この作品の中には、僕がされて嫌だったことがいくつか盛り込まれている。

その中で一番ポップなのが、深爪を菫子に見られるシーンだ。


この小説は私小説ではないと強調したいところではあるが、おそらく僕のパーソナルな部分が最も意図的に織り込まれている小説ではある。僕は大学時代居酒屋でバイトをしていたことがあるが、もっとも女性に嫌な思いをさせられた回数でいけば、深爪をわざわざ指摘されて「料理でもするの?」と訊かれることだった。


大学生時代の4年間は同じ居酒屋をバイト先としていたわけだが、そこで5回くらいは同じ経験をしている。

だいたい筋書きとしてはこうだ。僕が配膳に行くと、深爪の僕の爪を見て「料理でもするの?」と訊かれる。それで僕が料理をしない旨を言うと、「そうなんだ」とにやにやする。


こんな事を僕が言う資格はないが、勝手に大学生の指を見て興奮しないでほしい。

僕は幼少期から深爪をするのが癖だが、別にそこにセクシュアルな意味を持たせているわけではない。これが好きなひとだったら良いのだけれど、だいたいそれを行ってくるのは僕よりも二回りくらい年上のひとだ。僕は年上に敬意がないわけではないが、母性という名前の性欲の捌け口にされるのはだいぶ不愉快だ。


別に僕みたいな愛される資格のない人間でも、女性であれば誰でもいいわけではないから本当に嫌だったわけだが、不思議なことにこの小説はセックスができれば誰でもいいというような思春期の性欲を書いた作品になっている。

小説というのは、自分を客観視するのにたいへん役に立つのだ。


あと、多分ここの嫌さがあまり伝わっていない気がしたので、時間差でもいいから嫌な気持ちになってほしい。別に他人にこれをするなと言うつもりはない。ただ、ほんの少し共感が欲しかっただけだ。



4.その他、こまごまとしたこと


書いている最中に錦上京が出た。

浅間山が出てきて、本当にやめてほしいと心の底から思った。ユイマンを話の中に織り込むかだいぶ真剣に10分ほど悩んだが、結果ストーリーが面白くなることに何ら寄与しないという結論に至り、出すのをやめた経緯がある。

浅間山にフォーカスする文章がところどころ出てくるわけだが、錦上京を何一つ意識せずに書いているので、どうかご容赦いただきたい。


ちなみに、錦上京が出る1ヶ月前に偶然浅間山の外輪山にも登っている。黒斑山という山だが、信州の高山の中ではかなり難易度の低い山であるので、みなさん登られるとよろしいと思う。

僕は基本的に火山の雰囲気が好きなのだが(国道292号の渋峠とかも)、こうさまざまなハルシネーションが多い世の中になってきているから、こういう荒涼とした場所は大変心が落ち着く。おすすめだが、登山の装備はちゃんと揃えて行こうね。


あとは今回久しぶりに例大祭に参加した。タイミングが合わなかっただけだが、予想の5倍くらいの人がいて、もう驚くばかりだ。

あの日、僕は2時半に起きて信州から日帰りで有明に向かったわけだけれども、そのせいで大変に体調が悪かった。イベントが始まる前からずっと吐き気がしていて、消化器系もなんだかうまく動いてくれないし、頭もぽわぽわしていた。

そのせいでいつもより大分無愛想だったかもしれない。もし不愉快になった人がいたなら謝罪をしたい。本当に、あってはならないくらい余裕がなかったのです。次はせめて大月か石和温泉あたりで夜を明かして行くようにしようと思う。大体ぜんぶ小仏トンネルと首都高のせい。


5.おわりに


ここまで見苦しく書いてきたわけだけれども、作品は何だったのだろうか。

二〇一八年という年に限定してまで書くほどのことだったのだろうか。


僕にとっての二〇一八年という年は、夜の浅瀬で溺れているフリをしているような、暗くて、惨めで、滑稽なものだった。する必要もないようなことばかりして、未来に積み上げなければならないものを悉く崩して、モラトリアムに胡座をかきながら、安い絶望の中で遊び半分のSOSを出して、まともな生き物でいるつもりになっていた。

僕はどれか一つ正解すればよかった選択肢をすべて誤った。だから、今こうして愛される資格のない人生を送っている。愛すべきひとを愛さず、深く後悔している。


僕はその過去と決別を図ろうとした。だけれども、できなかった。それは僕の土台であるから、僕はこの碌でもない過去の上で生きていかねばならない。

どうにか、ここから価値あるものを積み上げていければと思う。


みんなは二〇一八年の夏、何をしていた?

そんな陳腐な終わり方をしようと思う。読んでくださった方、どうもありがとうございました。






 
 
 

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